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中野店 店舗ブログ

ソウルケーキ/あるいは稲荷寿司

こんにちは。

日頃より中野店をご愛顧いただきありがとうございます。CAの荻原です!

近況

気候への怨嗟ブログになりつつある中野店の記事ですが、前回の予想に反し「寒すぎ!!!!」と騒ぐほどの寒さではなく、けっこう過ごしやすい心地で「やるやん……」という気持ちです。

いっそ暑いほどで、そのうち体調に異常をきたしそうな寒暖差に翻弄されています。人類が人類である限り、自然という猛威・超常現象に敵いっこないのだと再認識させられるようですね。

ん?

 

おや?

 

あ!!

山粧ってる~!!!!

くねくねを見せられると思いましたか? 田んぼではないので大丈夫ですよ

喜ばしいことに、まいにち眺めていた山のてっぺんが秋色を帯びていました。やった~!🥳

浅学ゆえに名も知らぬ山ですが、もしかしたら、いつも祈りを捧げ続けていた神の声が聞こえたときや、我が子が初めて立った時の心境ってこういう気持ちなのでしょうか(同列に挙げていいたとえなのでしょうか)。

ちらほらと鮮やかな紅も点在するようになってきており、山全体が色づくのもそう遠くなさそうですね。自然とはかくも不思議なものです。

時間があれば紅葉狩りなどにも赴きたいものですが、いかんせん暇がないため、いつものようにフロントから眺めるだけにとどめることといたします。

今週のよもやま話

👻Happy Halloween🎃

本年も、一年一度の悪霊祓いの日がやってきましたね。

とはいえ荻原の家はイベントに乗じてなにかするわけでもなく、とりあえずハロウィンにかこつけてお菓子を食べる程度ですが、みなさまは何か特別なことをされるのでしょうか。

学生時代はかぼちゃのお菓子持参のうえ、親しい友人で集まってハロウィンパーティーをしたものですが、大人になってからは予定が合わせづらくなり、当日になにかしようというのはできなくなってしまいました。

いずれそうなる前に、子供たちには今のうちにめいっぱい楽しんでほしいものです。

ハロウィンを知ろう

時代の移り変わりや伝承の風化などに伴い、祝い方が現代風に再解釈されたり、日本独自の変化を遂げた行事はいくつも存在します。

ハロウィンもそのうちのひとつ。ルーツをたどると、約2000年前、古代ケルト人たちが行っていた収穫祭『サウィン祭』にまで遡ります。

現代におけるアイルランドやスコットランドに住んでいた彼らは、ケルト暦において10月31日が年の終わりとし、その夜は死者の霊がこの世に戻ってくると信じていました。同時に現れるとされた悪霊を、焚き火をたきしめて追い払ったり、仮面や仮装で身を守っていたのだとか。

また、ジャック・オー・ランタンといえば多くの方がカボチャを思い浮かべるかと思いますが、当時はルタバガという大型のカブを用いていたそう。近年になるにつれ、比較的手に入りやすいカボチャに座を譲ったようです。

中世にキリスト教が広がると、教会は11月1日を「諸聖人の日(All Saints’ Day)」として定め、その前夜(10月31日)が「All Hallows’ Eve(ハロウズ・イヴ)」と呼ばれるようになりました。この語が縮まって「Halloween(ハロウィン)」になった――と、いわれています。

仮装した子供たちが「トリックオアトリート!」と、おなじみの決まり文句とともにお菓子をもらいにくる風習も、じつは19世紀前半まではやや様式が異なりました。

17世紀から19世紀前半まで、イングランドでは「魂よ、魂よ、霊魂のケーキを、どうぞやさしい奥様、霊魂のケーキを1つ(”Soul, souls, for a soul-cake; Pray you good mistress, a soul-cake!”)」などと歌いながら仮面をつけた子供や大人たちが裕福な家々を巡り歩き、ソウルケーキというお菓子や食糧を得る習わしがあったのです。

ちなみにソウルケーキというのは、現代のイギリスでもハロウィンに欠かせないお菓子で、表面に十字の切れ込みや装飾が施されているのが特徴。とくにレシピなども決まっていないため、作り方も味もご家庭ごとに千差万別です。頂いてみたいですね。

現代日本においては、サブカルチャー的な側面が強くなったハロウィン。

時代にあわせた変化も節度を守って楽しみつつ、どのような起源があり、どのような歴史を内包しているのかも忘れないようにしたいですね。

日本の風土史とハロウィン

じつは、日本にもハロウィンのような行事が存在します。

その名も稲荷万年講いなりまんねんこう

毎年2月の初午に行われていた江戸時代から続く子供主体の民俗行事で、稲荷信仰に基づく祭礼のいち形態です。

行事の内容は7歳から13歳くらいの男の子たちが狐のお面をかぶり、家々を回って「稲荷万年講」と唱えながら菓子や小遣いをもらったり、「稲荷講、万年講、お十二燈お上げ、お上げ」と唱えながら絵馬板を持って銭を請い歩くというもの。

どこかで見聞きしたことがあるようなないような内容ですよね。

ハロウィンとの相違点は、宗教的・民俗的な背景が深いところでしょうか。

子供たちが地域を回ることで、社会との接点を持ち、信仰や礼儀を学ぶ機会となっていたとともに、寺子屋への入学や奉公の前段階として、子供の「卒業式」的な意味合いもあったようです。

そんな稲荷万年構ですが、かつては全国各地で行われていたものの、昭和初期以降は廃れていきました。

現在も一部地域では継続されており、地域文化の継承として再評価されつつあるといわれています。

昔ながらの伝統が忘れられていくのは悲しいこと。栄枯盛衰、歴史とは得てしてそういうものではあります。が、文化保存の観点でも、当時のような盛り上がりを再現とはいかずとも、完全なる消失にはならないでほしいですね。

お稲荷様も寂しがってしまうかもしれませんから。