末枯れのころ

朝もや、けぶりすぎ~!!!!
※色彩に欠けるサムネイルで申し訳ございません※
それはともかく
立ち上る息も白く、その気温の変化にはまさしく(ちょっと誤用ですが)心胆を寒からしめる心持ちとなる昨今、みなさまご息災でお過ごしでしょうか。
朝冷えにはすっかり指先がかじかみ、しかし冷涼できよらかな朝の空気を吸い込むと、肺に満ちていたよどみが濯がれていくよう。あの爽快さに代えられるものはそうございません。これだから冬が好きなのです(雪は嫌ですが)。
ヒトにはやはりきれいな酸素の巡りが必要不可欠なのだなと思い知らされます。
ちなみに、私は秋色に色づいた山を撮ろうとしたのですが、ご覧のありさまで図らずも大変笑ってしまいましたので、そのまま採用しました。ロンドンみたい。気温が上がって靄が晴れたら、また再チャレンジいたします。
こうしてうだうだしているうちに色褪せたり真っ白になっていたら悲しい、というよりもうてっぺんに雪化粧を施しはじめているお山さんもございまして、さすがに時間の問題となってまいりました。寒サニマケズ邁進いたします。
追記:紅葉というか、いかにも冬隣ですって色に変じておりました ちょっと前に見たときは赤かったのに~!!!! しかしそれもまた風情、侘び寂びとはこのことかも(そうかな……)

こうして見ると、雲ってなんだか非現実的で、魔法のようですね。
ちなみに、私は「雲をつかむような話」を「実際には実現しえない夢想のこと」だと思っていたのですが、実際は「漠然としてとらえどころのないお話」をさす比喩なんだと知ったのは最近のことです。
近況
そこまで交流はなかったような、遠方にいる知己らと再会する夢を見ました。
なぜ今?と思わなくもないですが、夢とはほとんどが断絶的で脈絡のないもの。あるいは、一説によれば深層心理が表出したものだとも提唱されています。
名前と顔を憶えていて、そのうえで夢に出てくるあたり、私にとってはちゃんと友人なのだと思っているのかもしれません。自分のことなのに他人事みたいにとらえてしまうのは、やっぱり夢だからなのでしょうか。
それにしても、ちゃんと内容を覚えているのも不思議なものです。